中(なか)
01/05/2012 12:11
用例
このあいびきは先年仏蘭西《フランス》で死去した、露国では有名な小説家、ツルゲーネフという人の端物《はもの》の作です。今度徳富先生の御依頼で訳してみました。私の訳文は我ながら不思議とソノ何んだが、これでも原文はきわめておもしろいです。
秋九月中旬というころ、一日自分がさる樺の林の中に座していたことがあッた。今朝から小雨が降りそそぎ、その晴れ間にはおりおり生ま煖《あたた》かな日かげも射して、まことに気まぐれな空ら合い。あわあわしい白ら雲が空ら一面に棚引くかと思うと、フトまたあちこち瞬く間雲切れがして、むりに押し分けたような雲間から澄みて怜悧《さか》し気《げ》に見える人の眼のごとくに朗《ほがら》かに晴れた蒼空がのぞかれた。自分は座して、四顧して、そして耳を傾けていた。木の葉が頭上で幽《かす》かに戦《そよ》いだが、その音を聞たばかりでも季節は知られた。それは春先する、おもしろそうな、笑うようなさざめきでもなく、夏のゆるやかなそよぎでもなく、永たらしい話し声でもなく、また末の秋のおどおどした、うそさぶそうなお饒舌《しゃべ》りでもなかッたが、ただようやく聞取れるか聞取れぬほどのしめやかな私語の声であった。そよ吹く風は忍ぶように木末を伝ッた。照ると曇るとで、雨にじめつく林の中のようすが間断なく移り変ッた。あるいはそこにありとある物すべて一時に微笑したように、隈なくあかみわたッて、さのみ繁くもない樺のほそぼそとした幹は思いがけずも白絹めく、やさしい光沢《つや》を帯び、地上に散り布《し》いた、細かな、落ち葉はにわかに日に映じてまばゆきまでに金色《こんじき》を放ち、頭《かしら》をかきむしッたような「パアポロトニク」(蕨の類い)のみごとな茎、しかも熟《つ》えすぎた葡萄めく色を帯びたのが、際限もなくもつれつからみつして、目前に透かして見られた。
秋九月中旬というころ、一日自分がさる樺の林の中に座していたことがあッた。今朝から小雨が降りそそぎ、その晴れ間にはおりおり生ま煖《あたた》かな日かげも射して、まことに気まぐれな空ら合い。あわあわしい白ら雲が空ら一面に棚引くかと思うと、フトまたあちこち瞬く間雲切れがして、むりに押し分けたような雲間から澄みて怜悧《さか》し気《げ》に見える人の眼のごとくに朗《ほがら》かに晴れた蒼空がのぞかれた。自分は座して、四顧して、そして耳を傾けていた。木の葉が頭上で幽《かす》かに戦《そよ》いだが、その音を聞たばかりでも季節は知られた。それは春先する、おもしろそうな、笑うようなさざめきでもなく、夏のゆるやかなそよぎでもなく、永たらしい話し声でもなく、また末の秋のおどおどした、うそさぶそうなお饒舌《しゃべ》りでもなかッたが、ただようやく聞取れるか聞取れぬほどのしめやかな私語の声であった。そよ吹く風は忍ぶように木末を伝ッた。照ると曇るとで、雨にじめつく林の中のようすが間断なく移り変ッた。あるいはそこにありとある物すべて一時に微笑したように、隈なくあかみわたッて、さのみ繁くもない樺のほそぼそとした幹は思いがけずも白絹めく、やさしい光沢《つや》を帯び、地上に散り布《し》いた、細かな、落ち葉はにわかに日に映じてまばゆきまでに金色《こんじき》を放ち、頭《かしら》をかきむしッたような「パアポロトニク」(蕨の類い)のみごとな茎、しかも熟《つ》えすぎた葡萄めく色を帯びたのが、際限もなくもつれつからみつして、目前に透かして見られた。
(ツルゲーネフ作・二葉亭四迷訳「あひびき」1888)
木戸を開けて表へ出ると、大きな馬の足迹の中に雨がいっぱい溜っていた。土を踏むと泥の音が蹠裏《あしのうら》へ飛びついて来る。踵を上げるのが痛いくらいに思われた。手桶を右の手に提げているので、足の抜き差に都合が悪い。際どく踏み応える時には、腰から上で調子を取るために、手に持ったものを放り出したくなる。やがて手桶の尻をどっさと泥の底に据えてしまった。危く倒れるところを手桶の柄に乗し懸って向うを見ると、叔父さんは一間ばかり前にいた。蓑を着た肩の後《うしろ》から、三角に張った網の底がぶら下がっている。この時被った笠が少し動いた。笠のなかからひどい路だと云ったように聞えた。蓑の影はやがて雨に吹かれた。
木戸を開けて表へ出ると、大きな馬の足迹の中に雨がいっぱい溜っていた。土を踏むと泥の音が蹠裏《あしのうら》へ飛びついて来る。踵を上げるのが痛いくらいに思われた。手桶を右の手に提げているので、足の抜き差に都合が悪い。際どく踏み応える時には、腰から上で調子を取るために、手に持ったものを放り出したくなる。やがて手桶の尻をどっさと泥の底に据えてしまった。危く倒れるところを手桶の柄に乗し懸って向うを見ると、叔父さんは一間ばかり前にいた。蓑を着た肩の後《うしろ》から、三角に張った網の底がぶら下がっている。この時被った笠が少し動いた。笠のなかからひどい路だと云ったように聞えた。蓑の影はやがて雨に吹かれた。
(夏目漱石「蛇」『永日小品』1909、冒頭)
寝ようと思って次の間へ出ると、炬燵の臭《におい》がぷんとした。厠の帰りに、火が強過ぎるようだから、気をつけなくてはいけないと妻《さい》に注意して、自分の部屋へ引取った。もう十一時を過ぎている。床の中の夢は常のごとく安らかであった。寒い割に風も吹かず、半鐘の音も耳に応えなかった。熟睡が時の世界を盛り潰したように正体を失った。Реших да си лягам и като излязох и минах в стаята, прилежаща на дневната, миризмата от огъня в печката котацу ме блъсна в носа. На връщане от тоалетната предупредих жена си, че огънят е прекалено силен и трябва да внимава и се оттеглих в стаята си. Вече минаваше единадест. Сънят ми бе както винаги спокоен. Макар и студено, не духаше и вятър, и звънът от сигналната камбана не дразнеше слуха ми. Изгубих съзнание, сякаш дълбокият сън до припадък бе опиянил света на течащото време.
(夏目漱石「泥棒」『永日小品』1909、冒頭)
息が切れたから、立ち留まって仰向くと、火の粉がもう頭の上を通る。霜を置く空の澄み切って深い中に、数を尽くして飛んで来ては卒然と消えてしまう。かと思うと、すぐあとから鮮なやつが、一面に吹かれながら、追(おっ)かけながら、ちらちらしながら、熾《さかん》にあらわれる。そうして不意に消えて行く。その飛んでくる方角を見ると、大きな噴水を集めたように、根が一本になって、隙間なく寒い空を染めている。二三間先に大きな寺がある。長い石段の途中に太い樅が静かな枝を夜《よ》に張って、土手から高く聳えている。火はその後《うしろ》から起る。黒い幹と動かぬ枝をことさらに残して、余る所は真赤である。火元はこの高い土手の上に違《ちがい》ない。もう一町ほど行って左へ坂を上《あが》れば、現場へ出られる。
(夏目漱石「火事」『永日小品』1909、冒頭)
あっちは栗の出る所でしてね。まあ相場がざっと両に四升ぐらいのもんでしょうかね。それをこっちへ持って来ると、升に一円五十銭もするんですよ。それでね、私がちょうど向うにいた時分でしたが、浜から千八百俵ばかり注文がありました。旨く行くと一升二円以上につくんですから、さっそくやりましたよ。千八百俵拵えて、私が自分で栗といっしょに浜まで持って行くと、――なに相手は支那人で、本国へ送り出すんでさあ。すると、支那人が出て来て、宜しいと云うから、もう済んだのかと思うと、蔵の前へ高さ一間もあろうと云う大きな樽を持ち出して、水をその中へどんどん汲み込ませるんです。――いえ何のためだか私にもいっこう分らなかったんで。何しろ大きな樽ですからね、水を張るんだって容易なこっちゃありません。かれこれ半日かかっちまいました。それから何をするかと思って見ていると、例の栗をね、俵《ひょう》をほどいて、どんどん樽の中へ放り込むんですよ。――私も実に驚いたが、支那人てえ奴は本当に食えないもんだと後《あと》になって、ようやく気がついたんです。栗を水の中に打《ぶ》ち込むとね、たしかな奴は尋常に沈みますが、虫の食った奴だけはみんな浮いちまうんです。それを支那人の野郎笊でしゃくってね、ペケだって、俵《ひょう》の目方から引いてしまうんだからたまりません。私は傍《そば》で見ていてはらはらしました。何しろ七分通り虫が入《い》ってたんだから弱りました。大変な損でさあ。――虫の食ったんですか。いまいましいから、みんな打遣って来ました。支那人の事ですから、やっぱり知らん顔をして、俵にして、おおかた本国へ送ったでげしょう。
(夏目漱石「儲口」『永日小品』1909、冒頭)
寝ようと思って次の間へ出ると、炬燵の臭《におい》がぷんとした。厠の帰りに、火が強過ぎるようだから、気をつけなくてはいけないと妻《さい》に注意して、自分の部屋へ引取った。もう十一時を過ぎている。床の中の夢は常のごとく安らかであった。寒い割に風も吹かず、半鐘の音も耳に応えなかった。熟睡が時の世界を盛り潰したように正体を失った。Реших да си лягам и като излязох и минах в стаята, прилежаща на дневната, миризмата от огъня в печката котацу ме блъсна в носа. На връщане от тоалетната предупредих жена си, че огънят е прекалено силен и трябва да внимава и се оттеглих в стаята си. Вече минаваше единадест. Сънят ми бе както винаги спокоен. Макар и студено, не духаше и вятър, и звънът от сигналната камбана не дразнеше слуха ми. Изгубих съзнание, сякаш дълбокият сън до припадък бе опиянил света на течащото време.
(夏目漱石「泥棒」『永日小品』1909、冒頭)
息が切れたから、立ち留まって仰向くと、火の粉がもう頭の上を通る。霜を置く空の澄み切って深い中に、数を尽くして飛んで来ては卒然と消えてしまう。かと思うと、すぐあとから鮮なやつが、一面に吹かれながら、追(おっ)かけながら、ちらちらしながら、熾《さかん》にあらわれる。そうして不意に消えて行く。その飛んでくる方角を見ると、大きな噴水を集めたように、根が一本になって、隙間なく寒い空を染めている。二三間先に大きな寺がある。長い石段の途中に太い樅が静かな枝を夜《よ》に張って、土手から高く聳えている。火はその後《うしろ》から起る。黒い幹と動かぬ枝をことさらに残して、余る所は真赤である。火元はこの高い土手の上に違《ちがい》ない。もう一町ほど行って左へ坂を上《あが》れば、現場へ出られる。
(夏目漱石「火事」『永日小品』1909、冒頭)
あっちは栗の出る所でしてね。まあ相場がざっと両に四升ぐらいのもんでしょうかね。それをこっちへ持って来ると、升に一円五十銭もするんですよ。それでね、私がちょうど向うにいた時分でしたが、浜から千八百俵ばかり注文がありました。旨く行くと一升二円以上につくんですから、さっそくやりましたよ。千八百俵拵えて、私が自分で栗といっしょに浜まで持って行くと、――なに相手は支那人で、本国へ送り出すんでさあ。すると、支那人が出て来て、宜しいと云うから、もう済んだのかと思うと、蔵の前へ高さ一間もあろうと云う大きな樽を持ち出して、水をその中へどんどん汲み込ませるんです。――いえ何のためだか私にもいっこう分らなかったんで。何しろ大きな樽ですからね、水を張るんだって容易なこっちゃありません。かれこれ半日かかっちまいました。それから何をするかと思って見ていると、例の栗をね、俵《ひょう》をほどいて、どんどん樽の中へ放り込むんですよ。――私も実に驚いたが、支那人てえ奴は本当に食えないもんだと後《あと》になって、ようやく気がついたんです。栗を水の中に打《ぶ》ち込むとね、たしかな奴は尋常に沈みますが、虫の食った奴だけはみんな浮いちまうんです。それを支那人の野郎笊でしゃくってね、ペケだって、俵《ひょう》の目方から引いてしまうんだからたまりません。私は傍《そば》で見ていてはらはらしました。何しろ七分通り虫が入《い》ってたんだから弱りました。大変な損でさあ。――虫の食ったんですか。いまいましいから、みんな打遣って来ました。支那人の事ですから、やっぱり知らん顔をして、俵にして、おおかた本国へ送ったでげしょう。
(夏目漱石「儲口」『永日小品』1909、冒頭)
ピトロクリの谷は秋の真下にある。十月の日が、眼に入る野と林を暖かい色に染めた中に、人は寝たり起きたりしている。十月の日は静かな谷の空気を空の半途で包《くる》んで、じかには地にも落ちて来ぬ。と云って、山向《やまむこう》へ逃げても行かぬ。風のない村の上に、いつでも落ちついて、じっと動かずに靄んでいる。その間に野と林の色がしだいに変って来る。酸いものがいつの間にか甘くなるように、谷全体に時代がつく。ピトロクリの谷は、この時百年の昔《むか》し、二百年の昔にかえって、やすやすと寂びてしまう。人は世に熟れた顔を揃えて、山の背を渡る雲を見る。その雲は或時は白くなり、或時は灰色になる。折々は薄い底から山の地《じ》を透かせて見せる。いつ見ても古い雲の心地がする。
(夏目漱石「昔」『永日小品』1909、冒頭)
どんな方法でもよい、自己を集中しようとすればするほど、私は自己が何かの上に浮いてゐるやうに感じる。いつたい何の上にであらうか。虚無の上にといふのほかない。自己は虚無の中の一つの點である。この點は限りなく縮小されることができる。しかしそれはどんなに小さくなつても、自己がその中に浮き上つてゐる虚無と一つのものではない。生命は虚無でなく、虚無はむしろ人間の條件である。けれどもこの條件は、恰も一つの波、一つの泡沫でさへもが、海といふものを離れて考へられないやうに、それなしには人間が考へられぬものである。人生は泡沫の如しといふ思想は、その泡沫の條件としての波、そして海を考へない場合、間違つてゐる。しかしまた泡沫や波が海と一つのものであるやうに、人間もその條件であるところの虚無と一つのものである。生命とは虚無を掻き集める力である。それは虚無からの形成力である。虚無を掻き集めて形作られたものは虚無ではない。虚無と人間とは死と生とのやうに異つてゐる。しかし虚無は人間の條件である。
(三木清「人間の條件について」『人生論ノート』1941、冒頭)
豊三郎《とよさぶろう》がこの下宿へ越して来てから三日になる。始めの日は、薄暗い夕暮の中に、一生懸命に荷物の片づけやら、書物の整理やらで、忙しい影のごとく動いていた。それから町の湯に入って、帰るや否や寝てしまった。明る日は、学校から戻ると、机の前へ坐って、しばらく書見をして見たが、急に居所《いどころ》が変ったせいか、全く気が乗らない。窓の外でしきりに鋸《のこぎり》の音がする。
(夏目漱石「声」『永日小品』1909、冒頭)二階の手摺に湯上りの手拭《てぬぐい》を懸けて、日の目の多い春の町を見下すと、頭巾を被《かむ》って、白い髭を疎《まば》らに生やした下駄の歯入が垣の外を通る。古い鼓を天秤棒に括りつけて、竹のへらでかんかんと敲くのだが、その音は頭の中でふと思い出した記憶のように、鋭いくせに、どこか気が抜けている。爺さんが筋向《すじむこう》の医者の門の傍《わき》へ来て、例の冴え損なった春の鼓をかんと打つと、頭の上に真白に咲いた梅の中から、一羽の小鳥が飛び出した。歯入は気がつかずに、青い竹垣をなぞえに向《むこう》の方へ廻り込んで見えなくなった。鳥は一搏《ひとはばたき》に手摺の下まで飛んで来た。しばらくは柘榴の細枝に留っていたが、落ちつかぬと見えて、二三度身ぶりを易《か》える拍子に、ふと欄干に倚りかかっている自分の方を見上げるや否や、ぱっと立った。枝の上が煙《けむ》るごとくに動いたと思ったら、小鳥はもう奇麗な足で手摺の桟《さん》を踏まえている。
(夏目漱石「心」『永日小品』1909、冒頭)どんな方法でもよい、自己を集中しようとすればするほど、私は自己が何かの上に浮いてゐるやうに感じる。いつたい何の上にであらうか。虚無の上にといふのほかない。自己は虚無の中の一つの點である。この點は限りなく縮小されることができる。しかしそれはどんなに小さくなつても、自己がその中に浮き上つてゐる虚無と一つのものではない。生命は虚無でなく、虚無はむしろ人間の條件である。けれどもこの條件は、恰も一つの波、一つの泡沫でさへもが、海といふものを離れて考へられないやうに、それなしには人間が考へられぬものである。人生は泡沫の如しといふ思想は、その泡沫の條件としての波、そして海を考へない場合、間違つてゐる。しかしまた泡沫や波が海と一つのものであるやうに、人間もその條件であるところの虚無と一つのものである。生命とは虚無を掻き集める力である。それは虚無からの形成力である。虚無を掻き集めて形作られたものは虚無ではない。虚無と人間とは死と生とのやうに異つてゐる。しかし虚無は人間の條件である。
(三木清「人間の條件について」『人生論ノート』1941、冒頭)
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