中(なか)

22/01/2018 16:16

→「なか(中)

用例

 このあいびき先年仏蘭西《フランス》死去した露国では有名な小説家ツルゲーネフという端物《はもの》です今度徳富先生依頼訳してみました訳文我ながら不思議とソノ何んだこれでも原文きわめておもしろいです
 
九月中旬というころ一日自分さる座していたことあッた今朝から小雨降りそそぎその晴れ間にはおりおり生ま煖《あたた》かな日かげ射してまことに気まぐれな空ら合いあわあわしい白ら雲空ら一面棚引くかと思うとフトまたあちこち瞬く間雲切れしてむりに押し分けたような雲間から澄みて怜悧《さか》し気《げ》に見えるごとくに朗《ほがら》かに晴れた蒼空のぞかれた自分座して四顧してそして傾けていた木の葉頭上幽《かす》かに戦《そよ》いだその聞たばかりでも季節知られたそれ春先するおもしろそうな笑うようなさざめきでもなくゆるやかなそよぎでもなく永たらしい話し声でもなくまたおどおどしたうそさぶそうなお饒舌《しゃべ》りでもなかッたただようやく聞取れる聞取れぬほどしめやかな私語であったそよ吹く忍ぶように木末伝ッた照る曇るじめつくようす間断なく移り変ッたあるいはそこありとあるすべて一時微笑したように隈なくあかみわたッてさのみ繁くないほそぼそとした思いがけず白絹めくやさしい光沢《つや》帯び地上散り布《し》いた細かな落ち葉にわかに映じてまばゆきまでに金色《こんじき》放ち頭《かしら》かきむしッたような「パアポロトニク」(類いみごとなしかも熟《つ》えすぎた葡萄めく帯びた際限なくもつれからみして目前透かして見られた
ツルゲーネフ作、二葉亭四迷訳「あひゞ」1888、冒頭
 伊賀國小國であるけれどもこの入るには何方からゆくにも相應に深い踰《こ》えねばならぬ自分いつも汽車安坐しながら此の通過するのであるが西から木津川溪谷溯つて來るのもいゝから鈴鹿山脈横斷して南畫めいた溪山入つて來るのも饒《ふか》い況《いは》んや俳聖芭蕉生地である吾々日本人自然觀人生觀乃至それ等風物に對する趣味といふやうなもの芭蕉一人存在によつていかに幽邃深遠趣き加へたといふこと考へる人間世界には烏合群集ばかりでは足りない寶玉如き一人者なければならぬ
近松秋江伊賀國1939冒頭
「中(なか)」用例(1940年代)
(森山直太朗・御徒町凧作詞、森山直太朗作曲、中村太知編曲「生きとし生ける」2004)