「ていた(て居た)」用例(1950年代)

29/12/2015 20:21

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用例

「ていた(て居た)」用例(1951)
 むし暑いある六月日曜日・・・
 人ごみ埋った駅前デパート屋上二人子供しながら雨あがり腫れぼったくむくんだような見下ろしいた
安部公房1955冒頭
 埴輪というのは元来その言葉示している通り埴土作った素焼き円筒ことであるそれたぶん八百ぐらい火熱加えたものらしく赤褐色呈している用途大きい前方後円墳周囲垣根であったこの素焼き円筒には上部いろいろな形象変化させたものあるその形象人間生活において重要な意味持っているものまた人々日ごろ馴れ親しんでいるもの現わしているとか道具とか家畜とか家禽とか特に男女人物とかそれである伝説では殉死習慣廃するために埴輪人形立て始めたということなっているその真偽わからないにしてもとにかく殉死同じように葬られる死者慰めようとする意図基づいたものであること間違いないところであろうそういう埴輪形象では人物動物などなかなかおもしろいあるそれわれわれわが国古墳時代造形美術として取り扱うことができるのである
 わが国古墳時代というと西暦紀元世紀ごろから世紀ごろまで応神仁徳朝鮮関係中心とした時代であるあれほど大きい組織的な軍事行動やっているくせにその事件愛らしい息長帯姫物語として語り残されたほどにこの民族想像力なお稚拙であったたとい稚拙であるにもしろその想像力一方わが国古い神話建国伝説など形成しつつあった他方ではこの埴輪人物動物など作っいたのである言葉による物語形象による表現とはかなり異なっているしかしそれ同じ想像力働きであること考えればいろいろ気づかされるあることと思う
和辻哲郎人物埴輪1956冒頭
 子供やん謂はれ居た小悧好なあつたさして生計豊かといふわけではなかつたさうかといつて苦しいといふわけではなく田畑少しにも貸して自分でも充分な耕作居たやうなところからばかり引きつづいて生れたひよつこり男の子として生れた家庭ひた愛で愛でつくして《なにがし》といふりつぱな名前あるにも拘らず坊や坊や呼び呼びした隣家もの先づやん呼び出した何時の間にか村中誰彼となくやんやん呼ぶやうになつてしまつた
飯田蛇笏「秋風」『山盧随筆』1958、冒頭