また(又・亦・復) 副詞・接続詞・接頭語
04/05/2012 18:26
[アクセント:また]
1.
[副]
1-1.
前《まえ》にあったことが再《ふたた》び起《お》きたり、繰《く》り返《かえ》されたりするさま。ふたたび。今度《こんど》も。同様《どうよう》に。やはり。отново; пак
あしたまた来ます。Утре ще дойда отново. いつかまたお話を聞かせてください また失敗した。Пак се провалих. またのおいでをお待ちしております またうまくいった。Отново мина добре. 今日もまた雨だ。И днес пак вали.
1-2.
他《た》と同《おな》じ事態《じたい》・状態《じょうたい》にあるさま。ひとしく。同《おな》じく。やはり。同様《どうよう》に。(също) като; и; също
息子もまた父親と同様、学者だ。И синът, (също) като бащата, е учен. 彼もまた人の子だ。И той е нечие дете.
1-3.
そのものと別《べつ》であるさま。друг (път)
忙しいからまたにしてくれ。Тъй като сега съм зает, моля те, остави за после/друг път. またの機会друга(следваща) възможност
1-4.
さらに別《べつ》の要素《ようそ》・事柄《ことがら》がつけ加《くわ》わるさま。その上《うえ》(に)。и; също; освен това
秋はまた収穫の季節でもある。Есента е и сезон, в който се събира реколтата. 彼はまたロマンチストでもある。Той е също и романтик. 一人旅もまたよいものだ
1-5.
驚《おどろ》きや疑問《ぎもん》・いぶかしみの気持ちを表《あらわ》す。まったく。それにしても。それにつけても。
またえらい失敗をしたものだ またなんときれいな花だろう よくまたそんなことが言えたものだ どうしてまたそんなことをしたのか
2.
[接]
2-1.
事柄《ことがら》を並列《へいれつ》・列挙《れっきょ》するときに用《もち》いる。ならびに。и; освен това и; също и
彼は、英語もドイツ語も、またフランス語も話せる。Той говори английски, немски, а освен това и френски.
2-2.
さらに別《べつ》の要素《ようそ》・事柄《ことがら》をつけ加《くわ》えるときに用いる。その上《うえ》(に)。かつ。
おもしろいだけでなく、また役に立つне само е интересно, но е и полезно 彼は医師であり、また文学者でもある。Той е лекар, а освен това и литературовед. 山また山 金もいらない。また地位もいらない。Не ми трябват пари.Нито пък (висок) пост.
2-3.
並列《へいれつ》・列挙《れっきょ》した事柄《ことがら》のうち、どれを選択《せんたく》してもいいときに用《もち》いる。あるいは。または。
行ってもいいし、また行かなくてもいい
2-4.
→またの・またも・または・又という日・又と無い・又にする
用例
このあいびきは先年仏蘭西《フランス》で死去した、露国では有名な小説家、ツルゲーネフという人の端物《はもの》の作です。今度徳富先生の御依頼で訳してみました。私の訳文は我ながら不思議とソノ何んだが、これでも原文はきわめておもしろいです。
秋九月中旬というころ、一日自分がさる樺の林の中に座していたことがあッた。今朝から小雨が降りそそぎ、その晴れ間にはおりおり生ま煖《あたた》かな日かげも射して、まことに気まぐれな空ら合い。あわあわしい白ら雲が空ら一面に棚引くかと思うと、フトまたあちこち瞬く間雲切れがして、むりに押し分けたような雲間から澄みて怜悧《さか》し気《げ》に見える人の眼のごとくに朗《ほがら》かに晴れた蒼空がのぞかれた。自分は座して、四顧して、そして耳を傾けていた。木の葉が頭上で幽《かす》かに戦《そよ》いだが、その音を聞たばかりでも季節は知られた。それは春先する、おもしろそうな、笑うようなさざめきでもなく、夏のゆるやかなそよぎでもなく、永たらしい話し声でもなく、また末の秋のおどおどした、うそさぶそうなお饒舌《しゃべ》りでもなかッたが、ただようやく聞取れるか聞取れぬほどのしめやかな私語の声であった。そよ吹く風は忍ぶように木末を伝ッた。照ると曇るとで、雨にじめつく林の中のようすが間断なく移り変ッた。あるいはそこにありとある物すべて一時に微笑したように、隈なくあかみわたッて、さのみ繁くもない樺のほそぼそとした幹は思いがけずも白絹めく、やさしい光沢《つや》を帯び、地上に散り布《し》いた、細かな、落ち葉はにわかに日に映じてまばゆきまでに金色《こんじき》を放ち、頭《かしら》をかきむしッたような「パアポロトニク」(蕨の類い)のみごとな茎、しかも熟《つ》えすぎた葡萄めく色を帯びたのが、際限もなくもつれつからみつして、目前に透かして見られた。
大刀《だいとう》老人は亡妻の三回忌までにはきっと一基の石碑を立ててやろうと決心した。けれども倅の痩腕《やせうで》を便《たより》に、ようやく今日《こんにち》を過すよりほかには、一銭の貯蓄もできかねて、また春になった。あれの命日も三月八日だがなと、訴えるような顔をして、倅に云うと、はあ、そうでしたっけと答えたぎりである。大刀老人は、とうとう先祖伝来の大切な一幅を売払って、金の工面をしようときめた。倅に、どうだろうと相談すると、倅は恨めしいほど無雑作にそれがいいでしょうと賛成してくれた。倅は内務省の社寺局へ出て四十円の月給を貰っている。女房に二人の子供がある上に、大刀老人に孝養を尽くすのだから骨が折れる。老人がいなければ大切な懸物も、とうに融通の利くものに変形したはずである。
しばらくして長十郎は両手で持っている殿様の足に力がはいって少し踏み伸ばされるように感じた。これはまただるくおなりになったのだと思ったので、また最初のようにしずかにさすり始めた。
(森鷗外「阿部一族」1913)
夫の居間に来た女房は、さきに枕をさせたときと同じように、またじっと夫の顔を見ていた。死なせに起すのだと思うので、しばらくは詞をかけかねていたのである。
(森鷗外「阿部一族」1913)
宇宙のはじめに當つては、すべてのはじめの物がまずできましたが、その氣性はまだ十分でございませんでしたので、名まえもなく動きもなく、誰もその形を知るものはございません。それからして天と地とがはじめて別になつて、アメノミナカヌシの神、タカミムスビの神、カムムスビの神が、すべてを作り出す最初の神となり、そこで男女の兩性がはつきりして、イザナギの神、イザナミの神が、萬物を生み出す親となりました。そこでイザナギの命は、地下の世界を訪れ、またこの國に歸つて、禊《みそぎ》をして日の神と月の神とが目を洗う時に現われ、海水に浮き沈みして身を洗う時に、さまざまの神が出ました。それ故に最古の時代は、くらくはるかのあちらですけれども、前々からの教によつて國土を生み成した時のことを知り、先の世の物しり人によつて神を生み人間を成り立たせた世のことがわかります。
「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」と言えり。されば天より人を生ずるには、万人は万人みな同じ位にして、生まれながら貴賤上下の差別なく、万物の霊たる身と心との働きをもって天地の間にあるよろずの物を資《と》り、もって衣食住の用を達し、自由自在、互いに人の妨げをなさずしておのおの安楽にこの世を渡らしめ給うの趣意なり。されども今、広くこの人間世界を見渡すに、かしこき人あり、おろかなる人あり、貧しきもあり、富めるもあり、貴人もあり、下人もありて、その有様雲と泥との相違あるに似たるはなんぞや。その次第はなはだ明らかなり。『実語教』に、「人学ばざれば智なし、智なき者は愚人なり」とあり。されば賢人と愚人との別は学ぶと学ばざるとによりてできるものなり。また世の中にむずかしき仕事もあり、やすき仕事もあり。そのむずかしき仕事をする者を身分重き人と名づけ、やすき仕事をする者を身分軽き人という。すべて心を用い、心配する仕事はむずかしくして、手足を用うる力役《りきえき》はやすし。ゆえに医者、学者、政府の役人、または大なる商売をする町人、あまたの奉公人を召し使う大百姓などは、身分重くして貴き者と言うべし。
(福沢諭吉「学問のすゝめ」1872-76、冒頭)
喜《き》いちゃんと云う子がいる。滑らかな皮膚と、鮮かな眸を持っているが、頬の色は発育の好い世間の子供のように冴々していない。ちょっと見ると一面に黄色い心持ちがする。御母《おっか》さんが、あまり可愛がり過ぎて、表へ遊びに出さないせいだと、出入りの女髪結《おんなかみゆい》が評した事がある。御母さんは束髪の流行《はや》る今の世に、昔風の髷を四日目四日目にきっと結う女で、自分の子を喜いちゃん喜いちゃんと、いつでも、ちゃん付《づけ》にして呼んでいる。このお母《っか》さんの上に、また切下《きりさげ》の御祖母《おばあ》さんがいて、その御祖母さんがまた喜いちゃん喜いちゃんと呼んでいる。喜いちゃん御琴の御稽古に行く時間ですよ。喜いちゃんむやみに表へ出て、そこいらの子供と遊んではいけませんなどと云っている。Има едно дете на име Ки. Кожата му е гладка и очите му – блестящи и пълни с живот, ала цветът на бузките му не е така свеж (и румен), както при обикновените здраво растящи деца. Като се позагледа човек, сякаш лекичко жълтеят. Причината е, че майка й прекалено много я глези и не я пуска да си играе навън – бе изкоментирала веднъж жената, която идваше да разресва косите и оправя прическите на жените в семейството. Майката е жена, която в днешно време, когато на мода е привързването на косата в западен стил, на всеки четири дни обезателно връзва косата си в традиционен висок кок и винаги се обръща към детето си с Ки-чан, Ки-чан, прибавяйки гальовното “чан” към името му. Не стига майката, ами има и баба – бабата с типична за вдовица спусната и подравнена до врата коса - която също вика на внучето си Ки-чан, Ки-чан (, бабенце). Ки-чан, бабенце, време е да тръгваш за упражненията по кото. Ки-чан, бабенце, много, много да излизаш навън и да си играеш с децата там, не бива – казва му.
武士はいざというときには飽食はしない。しかしまた空腹で大切なことに取りかかることもない。長十郎は実際ちょっと寝ようと思ったのだが、覚えず気持よく寝過し、午になったと聞いたので、食事をしようと言ったのである。これから形《かた》ばかりではあるが、一家四人のものがふだんのように膳に向かって、午の食事をした。
(森鷗外「阿部一族」1913)
どんな方法でもよい、自己を集中しようとすればするほど、私は自己が何かの上に浮いてゐるやうに感じる。いつたい何の上にであらうか。虚無の上にといふのほかない。自己は虚無の中の一つの點である。この點は限りなく縮小されることができる。しかしそれはどんなに小さくなつても、自己がその中に浮き上つてゐる虚無と一つのものではない。生命は虚無でなく、虚無はむしろ人間の條件である。けれどもこの條件は、恰も一つの波、一つの泡沫でさへもが、海といふものを離れて考へられないやうに、それなしには人間が考へられぬものである。人生は泡沫の如しといふ思想は、その泡沫の條件としての波、そして海を考へない場合、間違つてゐる。しかしまた泡沫や波が海と一つのものであるやうに、人間もその條件であるところの虚無と一つのものである。生命とは虚無を掻き集める力である。それは虚無からの形成力である。虚無を掻き集めて形作られたものは虚無ではない。虚無と人間とは死と生とのやうに異つてゐる。しかし虚無は人間の條件である。
(三木清「人間の條件について」『人生論ノート』1941、冒頭)
1-4.
長十郎が忠利の足を戴いて願ったように、平生恩顧を受けていた家臣のうちで、これと前後して思い思いに殉死の願いをして許されたものが、長十郎を加えて十八人あった。いずれも忠利の深く信頼していた侍どもである。だから忠利の心では、この人々を子息光尚《みつひさ》の保護のために残しておきたいことは山々であった。またこの人々を自分と一しょに死なせるのが残刻だとは十分感じていた。しかし彼ら一人一人に「許す」という一言を、身を割くように思いながら与えたのは、勢いやむことを得なかったのである。
(森鷗外「阿部一族」1913)
2-1.
このあいびきは先年仏蘭西《フランス》で死去した、露国では有名な小説家、ツルゲーネフという人の端物《はもの》の作です。今度徳富先生の御依頼で訳してみました。私の訳文は我ながら不思議とソノ何んだが、これでも原文はきわめておもしろいです。
秋九月中旬というころ、一日自分がさる樺の林の中に座していたことがあッた。今朝から小雨が降りそそぎ、その晴れ間にはおりおり生ま煖《あたた》かな日かげも射して、まことに気まぐれな空ら合い。あわあわしい白ら雲が空ら一面に棚引くかと思うと、フトまたあちこち瞬く間雲切れがして、むりに押し分けたような雲間から澄みて怜悧《さか》し気《げ》に見える人の眼のごとくに朗《ほがら》かに晴れた蒼空がのぞかれた。自分は座して、四顧して、そして耳を傾けていた。木の葉が頭上で幽《かす》かに戦《そよ》いだが、その音を聞たばかりでも季節は知られた。それは春先する、おもしろそうな、笑うようなさざめきでもなく、夏のゆるやかなそよぎでもなく、永たらしい話し声でもなく、また末の秋のおどおどした、うそさぶそうなお饒舌《しゃべ》りでもなかッたが、ただようやく聞取れるか聞取れぬほどのしめやかな私語の声であった。そよ吹く風は忍ぶように木末を伝ッた。照ると曇るとで、雨にじめつく林の中のようすが間断なく移り変ッた。あるいはそこにありとある物すべて一時に微笑したように、隈なくあかみわたッて、さのみ繁くもない樺のほそぼそとした幹は思いがけずも白絹めく、やさしい光沢《つや》を帯び、地上に散り布《し》いた、細かな、落ち葉はにわかに日に映じてまばゆきまでに金色《こんじき》を放ち、頭《かしら》をかきむしッたような「パアポロトニク」(蕨の類い)のみごとな茎、しかも熟《つ》えすぎた葡萄めく色を帯びたのが、際限もなくもつれつからみつして、目前に透かして見られた。
(ツルゲーネフ作・二葉亭四迷訳「あひびき」1888、冒頭)
この中には嫡子光貞のように江戸にいたり、また京都、そのほか遠国《えんごく・おんごく》にいる人だちもあるが、それがのちに知らせを受けて歎いたのと違って、熊本の館にいた限りの人だちの歎きは、わけて痛切なものであった。Сред всички тези хора имаше такива, които подобно на наследника Мицусада бяха в Едо, имаше такива в Киото, както също и в далечни провинции, и които когато по-късно получиха вестта оплакваха по различен начин, отколкото оплакването на тези, които бяха в пределите на резиденцията Кумамото, което беше изключително болезнено.
(森鷗外「阿部一族」1913)(МОРИ ОГАЙ “КЛАНЪТ АБЕ” в превод на Нино Калоянов)
「この無限の空間の永遠の沈默は私を戰慄させる」(パスカル)。
孤獨が恐しいのは、孤獨そのもののためでなく、むしろ孤獨の條件によつてである。恰も、死が恐しいのは、死そのもののためでなく、むしろ死の條件によつてであるのと同じである。しかし孤獨の條件以外に孤獨そのものがあるのか。死の條件以外に死そのものがあるであらうか。その條件以外にその實體を捉へることのできぬもの、――死も、孤獨も、まことにかくの如きものであらうと思はれる。しかも、實體性のないものは實在性のないものといへるか、またいはねばならないのであるか。
(三木清「孤獨について」『人生論ノート』1941、冒頭)
2-2.
近頃私は死といふものをそんなに恐しく思はなくなつた。年齡のせゐであらう。以前はあんなに死の恐怖について考へ、また書いた私ではあるが。
(三木清「死について」『人生論ノート』1941、冒頭)
(三木清「怒について」『人生論ノート』1941、冒頭)
2-4.
また、ふもとに一つの柴の庵あり
(鴨長明「方丈記」1212)
2-5.
見る時は、また、かねて思ひつるままの顔したる人こそなけれ
(吉田兼好「徒然草」14世紀前半)
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